九州場所の歴史 その1(準本場所への道)

 毎年九州場所が始まると年の瀬を感じるのですが、実際福岡で九州場所の始まる気配を感じるのは10月後半、各部屋の先発隊の若い衆が街を出歩き、バニラ風の甘い頭髪料(オーミすき油)の香りを漂わせ始めた頃からかと思います。

 さて、福岡国際センターで実施され、いろいろな都市から観戦に来るにはバス便だけで不便だ…という声も聴きますが、その始まりは天神のど真ん中と言っても過言ではない場所であったことはご存じでしょうか?

 その場所には、現在西鉄ソラリアプラザが建築されています。警固公園の北に位置するあの場所に、以前は福岡スポーツセンターというアイススケートなどもできる体育館が建設されており、そこで九州場所は産声を上げています。

     ※福岡スポーツセンター跡(現西鉄ソラリアプラザ)

花相撲興行

 昭和30年11月13日 福岡スポーツセンターの落成記念のこけら落としとして『大相撲九州準本場所』が初日を迎えました。実は準本場所以前にも九州場所は存在していましたが花相撲興行です。

 では、花相撲興行はいつごろからあったのでしょう。戦前から地元の人々が東京大相撲を招いて興行相撲を催していたのですが、昭和27年ごろからもう少し大々的なものをと、福岡市料亭組合が計画し昭和27年11月16日~11月18日の3日間、東京大相撲の花相撲が実施されています。
 場所は中洲だったそうで福岡市料亭組合が勧進元で後援に西日本新聞社がついていたそうです。この時の料亭組合の尽力は情熱的で、力士の宿泊を分散して引き受け様々な業務も分担したといいます。
 老松、新三浦、やまね、岩永、迎陽亭、魚よし、いずみ、中村家といった料亭組合の力が今の九州場所の元となったとも言えそうです。

福岡スポーツセンター

現在の九州場所を語るにあたっては、この福岡スポーツセンターについても触れないわけにはいかないのかもしれません。福岡スポーツセンターは昭和30年(1955年)に完成するのですが、昭和30年という時代は10年前の昭和20年6月19日に福岡大空襲を受け福博の町を焼き、その復興がやっと始まったような時期でした。
昭和29年に新天町商店街で大火事が2度起こり、悲しみが渦巻く中、今一度、市の復興をとの願いを担って建設された施設でもあります。
また、当時は屋内スポーツのできるような施設もなかったため、建設にあたっては西鉄だけではなく地元政財界、市関係者も復興のためのスポーツ振興と文化向上のための設備が完備された施設を都心に建設しなければとの考えもあり、こけらおとしが大相撲準本場所の誘致へとつながったともいわれています。

 スポーツセンターは10月にアイススケート場としてオープン予定でしたが、先の復興の願いから、こけらおとしは大相撲を誘致しようと当時初代スポーツセンター社長が動き始めるのが昭和30年5月のことでありました…

準本場所へ…福岡に茶屋がないのは…

 初代スポーツセンター社長だった白根さんが自身の中学(現在は高校)の先輩である前中工業社長、木曽さんに大相撲準本場所をこけら落としとして興行したいとお願いするわけです。
 木曽さんは大の相撲好きで、九州でも指折りの大相撲通だったといわれています。そんな木曽さんも、白根さんの熱い思いによって心に火が付き、矢も楯もたまらず日本相撲協会へ連絡を入れたそうです。
 

当時の理事長、元横綱常の花の出羽海理事長の元に、木曽さんが電話を入れたのは、運のよいことに巡業スケジュールを組んでいる頃だったため、話はとんとん拍子に進んでいきました。
また、宣伝も必要とのことで白根さんはまたしても中学の先輩田中さんに頼み込みに行きます。そう地元の新聞社、西日本新聞社社長の田中さんも先輩だったのです。その甲斐あって、西日本新聞社の協力を得られ、これで順調に進むかと思われました。。。。

 どうでしょう、順調に進みそうに見えたところで、何か忘れていないでしょうか。。。そう花相撲です。花相撲を誘致するために尽力した料亭組合が全然顔を出していません。白根さんの凡ミスともいえる根回し不足がここで発生してしまったのです。準本場所を福岡で開催するという話が出羽海理事長から時津風常務理事(元横綱双葉山)の耳に入り、時津風常務理事と懇意の中であった旧料亭組合(その頃は福岡市料理業組合)に話が渡ったのです。

 福岡市料理業組合から白根さんの元へ『準本場所興行には、組合は一切協力しませんよ』といったクレームが届くわけです。そうでしょう、そもそも花相撲の勧進元を差し置いて話を進めていては気分が悪かったでしょう。このままでは開催は危うくなるということで、白根さんは再三再四と足繁く組合に通い、詫びを入れました。

 その結果、組合の協力も得られたのですが、その時の条件が準本場所に弁当を販売するための茶屋を出すことでした。九州場所では他の本場所にはある相撲茶屋が無いのはこういった経緯があったからと言われています。

 こうして、各方面の協力を取り付け、昭和30年11月13日より15日間の大相撲九州準本場所が決定したのでした。

次回へ続きます(次は九州溜会~本場所への昇格…の予定)

参考:福岡スポーツセンター

にしてつwebミュージアム、にしてつ画像ライブラリーより
懐かしの福岡スポーツセンター

つづき 九州場所の歴史 その2

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hindkill

大相撲の現地観戦は、ほぼ九州場所のみ。他は基本BS、地上波、abemaTVになります。 不動産関連や消防設備関連も職業柄触れることが多いですが、個人的にはビジネス書を読み、モバイルアプリに時間を奪われ、気になることが多すぎてどれが確かな趣味なのか少々難しい日々を送っております。

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1件の返信

  1. 2019年10月31日

    […] ※前回の投稿:九州場所の歴史 その1 […]

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