九州場所の歴史 その2(福岡溜会誕生~本場所昇格へ)

※前回の投稿:九州場所の歴史 その1

 前回は、花相撲の勧進元であった料亭組合の協力を取り付け、やっとこさ準本場所の誘致を決めたところまでのお話でした。
 その立役者ともいえる、スポーツセンター社長の白根運夫さんと前中興工業社長の木曽重義さん、そして料亭組合の老松の上野浪男さんたちの熱意によって今日の九州場所があるのですが、今回はその準本場所が決定してからのお話です。

2017年の九州場所

土俵を観戦する態度に、一寸の気の緩みも許されない!

 さて、無類の相撲好きである木曽さんですが、こんな持論を持たれていました。

『相撲は国技であり、ショーではない。相撲道の実践そのものでなくてはならない。その精神は観客もまた同じである。いやしくも、真剣勝負の土俵を観戦する態度に、一寸の気の緩みも許されない』

『男が裸と裸、一対一でぶつかる真剣勝負の魅力には、血がたぎる』

 このような熱い持論をお持ちでしたので、この九州準本場所も気を緩めず応援しなければ…と盛り立てるための会組織の結成を考えたそうです。そして、その呼びかけに応じて木曽さんの地元炭鉱主や料亭関係者ら約40人が集まり、料亭老松で最初の会合を開きました。その会合において、福岡場所溜会が誕生したのです。(のちの九州本場所-福岡溜会)なお、初代会長には石炭協会会長であった、武内礼蔵さんが就任しました。

 前述の熱い持論は、福岡場所溜会でも順守され、準本場所にて設けられた溜席(正面と向正面のみ)においては、飲食、酒、たばこといった嗜好品は持ち込まず、また履物もスリッパに履き替え入場との取り決めだったとのこと。
 このルールは現在も守られており、溜会席にて観戦する方々は控室にて履物をスリッパに履き替え、溜席に通されます。
 また、この時の溜会員の観戦態度は整然と土俵を見上げ、力士の動作、呼吸とあらゆる所作を食い入るように眺めており、木曽さんから相撲協会へ『八百長はまかりならん。常に土俵は真剣で』という注文も相まって、力士たちも気を引き締めたといわれています。


<余談> この【溜会員の一寸の気の緩みも許されない観戦】というのは、現在も継承されているのかと問われれば、少々残念ながらそこまでの方はぐっと減ってしまったように思われます。やはり正面溜席の中央に座し、土俵を見守るのが一番でしょうが、昨今はテレビ写りを気にしてか、向正面席の方を優先されるかたもいるとかいないとか…


 ちなみに、この準本場所開催にあたって、【真剣な土俵とは】という問いかけを木曽さんへされたそうです。その答えは『うっちゃりのない相撲は、真剣とはいえない』とのことだったそうです。
 この答えは、準本場所とは言え、本場所のために力を抜いておこうといった考えを持たないようにと、力士たちへも釘を刺す形となったことでしょう。
 結果、とても見ごたえのある相撲が準本場所では繰り広げられたそうです。

 

 

いざ本場所昇格へ

 さて、今となっては本場所のひとつである九州場所ですから、いつからか準本場所から本場所へと昇格したことになります。いつ頃から昇格に向けて動き始めたのでしょか?まだ、東京と大阪しか本場所がない頃の話です。(名古屋も準本場所として開催)2年後?3年後?どのくらい様子をみて動き始めたのでしょうか??

 

  福岡で開催された初めての準本場所。昭和30年11月13日から数えること十日目のこと…そう、十日目です。白根さんが、溜席で気を許さず観戦している木曽さんへこんな話を持ち掛けます。。。

『木曽さん、来年(昭和31年)から本場所に昇格してくれませんか』

 なんということでしょう。。。本場所は東京と大阪の2か所、年四場所制で、名古屋の準本場所が開催されている頃です。しかも、九州準本場所の入場券が飛ぶように売れたわけでもなく、むしろ低調だった頃に。。。です。本場所に昇格して採算がとれるかもわからず、名古屋も準本場所から本場所への昇格を働きかけている時期に…です。いやぁ当時の九州男児は豪胆だったんだろうなと思います。
 とはいえ、木曽さんも「そりゃ無茶な話だ、できん相談だ」と断るのですが、白根さんは重ねて頼み込んだそうです。料亭組合との件も思えば、白根さんは断られても断られても何とか頼み込みエキスパートだったのかもしれませんね。

 結局、事前に関係者から木曽さんからだったらできるんじゃないかとの話を聞いていた白根さんの『あなたならできますよ』攻撃に屈し、交渉を引き受けてしまった木曽さんでした。
 年が明けて早々、木曽さんは上京し相撲協会へ交渉へ向かいました。準本場所の開催においては協会側も『ほかならぬ木曽さんの要望であればお断りするわけにはいきませんね』という態度でしたが、今回の話は本場所昇格です。協会からの回答は

『御冗談でしょう』

 まぁそうなるでしょうね。九州場所を本場所へ昇格させてしまえば、興行成績が悪くなってもおいそれと取り止めるわけにはいかなくなります。そして、 名古屋も本場所に昇格させてほしいという要望もあっているのでなおさらです。木曽さんも、福岡の観客動員力などを説明するもまったく相手にされませんでした。
 しかし、そこは地元の思いを一身に受けて上京してきた木曽さんです。別の角度からも切り込んでいきます。

 『理事長、あなたは相撲を国技として育てていこうとされておられるが、であればこそ広く一般国民に見る機会を与えるべきでしょう。東京や大阪といった都心の人々だけでなく、遠く九州の相撲ファンにも実際に見る機会を作ってほしいのです。東京や大阪の場所では遠くて、九州からわざわざ見に行くのはわたしぐらいのものでしょう』

 この相撲協会が目指しているものを引き合いに出されたことと、木曽さんの熱意が協会に徐々に染み入り、『ごじょうだんでしょう』といった姿勢が揺らぎ始めたことを見て取った木曽さんがさらに畳みかけます。

 『相撲協会のみなさんが九州場所を本場所へ昇格するにあたって、一番心配されているのは興行成績ではないですか?それならご心配には及びません。もし興行で欠損が出るようなことがあれば、本場所昇格を働きかけた我々福岡財界人の不徳の致すところ。きちんと欠損分は補填いたしますよ』

 この熱弁を受けてか、昭和31年の間に協会は理事会で九州場所の昇格を議論し、同年11月の九州準本場所中に、『昭和32年から本場所へ昇格する』と木曽さんへ伝えられたそうです。まだ、名古屋は準本場所でしたので、東京、大阪についで三番目の本場所となり、年五場所制に変わることとなるのでした。

 なお、木曽さんの相撲道に尽力する様に感銘を受け、相撲協会も木戸御免に推薦し、木曽さんもそれを受諾することになります。※木戸御免:長年にわたり相撲協会を支援し功績のあった人物に対し協会から贈られる資格で、木戸(チケットのもぎりのある入り口)を無料で行き来できる人々

 

こうして昭和32年11月10日、九州場所は本場所としてその一歩を踏み出すこととなるのでした。

 ちなみに…本場所となる前年、昭和31年にNHK福岡放送局が開局となっております。福岡放送局と言えば、大相撲九州場所前夜祭ですよね!(そんな当然っといった感じで言われても…)今年の前夜祭は第63回となっています。本場所となった昭和32年は西暦で言うと1957年です。今年2019年からすると、62年前、回数で言うと今年の九州場所は63回目となります。。。。そうです、なんと大相撲九州場所前夜祭は、昭和32年の本場所昇格から実施されてきたのです。驚きですね。

 もう一つ余談。準本場所で料理業組合(旧料亭組合)が茶屋を出していましたが、本場所になって撤退。結局溜会が入場券の引き受けなどを行うこととなり、なかなか大変なスタートだったようです。

2018年大相撲九州場所前夜祭より、勢関の圧巻の歌唱パフォーマンス

以上、九州場所の歴史その2でした。

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hindkill

大相撲の現地観戦は、ほぼ九州場所のみ。他は基本BS、地上波、abemaTVになります。 不動産関連や消防設備関連も職業柄触れることが多いですが、個人的にはビジネス書を読み、モバイルアプリに時間を奪われ、気になることが多すぎてどれが確かな趣味なのか少々難しい日々を送っております。

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1件の返信

  1. 2019年10月31日

    […] つづき 九州場所の歴史 その2 […]

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